東京高等裁判所 昭和43年(く)48号 決定 1968年5月14日
申立人 岡部勇二
決 定 <申立人氏名略>
被告人鈴木公玄に対する横浜地方裁判所昭和四十年(わ)第一、六〇六号詐欺被告事件について、同裁判所が昭和四十二年一月二十六日にした保釈保証金没取決定に対し、弁護人岡部勇二から抗告申立があつたので、当裁判所は次のように決定する。
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の理由は、申立人提出の抗告申立書に記載されたとおりであるから、これをここに引用し、これに対して次のとおり判断する。
一、一件記録に徴すると、本件保釈保証金没取決定は原裁判所の職権によつてなされたものであるが、原裁判所が右決定をするについて訴訟関係人の陳述ないし意見を聴いた事跡のないことは所論のとおりである。しかし、決定は口頭弁論に基づいてこれをすることを要せず(刑事訴訟法第四十三条第二項)、書面審理によつてすることができるのであり、ただ、申立により公判廷でするとき、又は公判廷における申立によりするときは、訴訟関係人の陳述を聴かなければならないけれども、その他の場合には、特別の定のある場合を除き、訴訟関係人の陳述を聴かないでこれをすることができる(刑事訴訟規則第三十三条第一項)のであつて、刑事訴訟法及び同規則中には、職権により保釈を取り消して保証金を没取する場合に、訴訟関係人の陳述ないし意見を聴くべきことを命じた特別の定は存しない。所論の援用する刑事訴訟法第九十二条は、保釈の許否に関する決定及び検察官の請求による場合を除いて勾留を取り消す決定をする場合において、検察官の意見を聴くべきことを命じた規定であり、同条の立法趣旨は、裁判所の予期しない事情により被告人の釈放によつて被告事件の審判等に支障を来す事態が発生することを防止するため、被告人を釈放した場合における逃亡もしくは罪証隠滅の虞れの有無及びその程度等につき公訴の維持者たる検察官に意見を述べさせ、これを保釈の許否又は勾留取消についての裁判所の判断の参考とさせようとするものであるから、保釈を取り消す決定をする場合に同条の趣旨を類推適用して、被告人又は弁護人の意見を聴かなければならないものと解すべき実質的な根拠は見出せない。これを要するに、刑事訴訟法及び同規則の解釈上、職権により保釈保証金を没取する決定をするについては、訴訟関係人の意見を聴くことは必要でないものといわざるを得ない。しかして、保釈保証金の没取は、保釈の遵守事項違反に対する制裁として保釈保証金の還付請求権を消滅させる裁判上の処分であつて、その限りにおいては憲法第三十一条にいう「その他の刑罰」に含まれるものと解すべきではあるが、元来保釈保証金なるものは、保釈を許された被告人が召喚に応じて期日に出頭し、逃亡、罪証隠滅等の挙に出ず、且つそれと疑われるような行為をしないこと、その他裁判所の定める条件を遵守すること等を担保するため、もし保釈中にこれらの遵守事項に違反した場合には、その全部又は一部を没取されても異議がないとの趣旨で納付されるものであり、保釈の遵守事項に違反した被告人から保釈保証金を没取することは、公法上の違約罰的な性質を有するのであるから、その手続は、広く一般人に対して向けられた法規範に違反した者に対し、法秩序を維持するために制裁を科する場合の手続と必ずしも同一でなければならないものではない。また、保釈保証金を没取する決定は、保釈を取り消す決定と同時になされるべきもので、保釈を取り消した後に右取消の理由と同一の事由に基づき別個の機会に保証金を没取することが許されないことは、刑事訴訟法第九十六条第二項の文理解釈上からも肯定されるのみならず、同規則第九十一条第一項第二号が、保釈取消の際に没取されなかつた保証金は被告人が収監されたときはこれを還付しなければならない旨を規定していることからも、その趣旨を窺うことができるのであるが、保釈取消の手続はその性質上急速を要するばかりでなく、保釈を取り消し且つ保証金を没取することについて予め被告人の陳述ないし意見を聴くことは、多くの場合事実上不可能であるか、又は保釈取消決定の執行の不能又は困難を来す虞れがあるのであるから、保釈取消決定と前叙の如く手続上不可分の関係にある保釈保証金没取決定をする場合において、予め被告人の陳述ないし意見を聴かなくても、それについては合理的な理由がないとはいえない。それゆえ、刑事訴訟法及び同規則が、職権により保釈保証金を没取する場合において、予め訴訟関係人、殊に没取処分を受ける被告人本人の陳述ないし意見を聴くべきことを要求していないとしても、没取の裁判に対しては何時でも抗告によつてその判断の当否を争い、救済を求める余地が残されている以上、右条規を目して実質的に適正を欠くということはできない。従つて、原裁判所が訴訟関係人の陳述ないし意見を聴かないで職権により保釈保証金を没取する旨決定したのを目して、所論の如く刑事訴訟法第九十二条、憲法第二十九条第一項、第三十一条に違反するものということはできない。
二、ところで、記録によれば、被告人は頭書被告事件につき昭和四十年十二月二十日保釈を許され、保証金二十万円(但し内金五万円については弁護人提出の保証書をもつて代用)を納付して釈放されたのであるが、昭和四十一年九月二十一日の原審第三回公判期日に裁判長から次回公判期日を同年十一月四日午前十時とする旨の告知を受け、該期日に出頭すべきことを命ぜられながら正当な理由がないのに右第四回公判期日に出頭しなかつたのみならず、前示保釈を許されるに当りその住居を東京都港区青山高樹町十二番地に制限され、且つ右制限住居を変更しようとするときは裁判所の許可を得なければならない旨の条件が付されていたのに、前記日時頃無届で他に転居し、住居の制限に違反したこと、そのため前記制限住居に宛てた被告人に対する昭和四十一年十二月十二日午後一時の第五回公判期日召喚状は不送達に帰し、右第五回公判期日は開廷不能に陥つたが、被告人はその後も直接又は弁護人を介して原裁判所に対し自己の居所を連絡せず、その所在不明のまま放置された状態にあつたので、右第五回公判期日から更に約一箇月半を経過した原決定当時においては、被告人が逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があつたことを認めるに十分であるから、原決定が被告人に刑事訴訟法第九十六条第一項第一号、第二号、第五号所定の事由があるものと認定したのは洵に正当であり、これをもつて証拠に基づかない裁判であると非難する所論は当らない。そして、以上の如き被告人の保釈の遵守事項違反の態様にかんがみると、原決定が被告人の納付した保証金十五万円を没取したことが、裁量権の行使を誤つた不当なものであるとは考えられない。なお、被告人が保釈の取消により収監された後、原裁判所が約十箇月にわたり公判期日を指定しなかつたことにより、被告人の非違は治癒されたものとする所論は、独自の見解であつて採用に値いしない。よつて、本件抗告は理由がないから刑事訴訟法第四百二十六条第一項によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判官 坂間孝司 栗田正 近藤浩武)